2ーc.農に想いをよせて(その年の地域の味、いのちの味)

 私たちが食する農作物は、「太陽・水・土など自然からの恩恵」と 「耕す人の力」により育み、収穫され、私たちの”いのちの糧”となっています。 そのうちの一つ、わが国の農業の基幹である稲作を見てみるとその生育ステージには デリケートな部分がうかがえます。

 たとえば、東海・中部より北の地域における稲の生育で天候が一番大切な時期は “幼穂形成期?減数分裂期?出穂期にあたる7?8月”と言われ、とくに食味を決めるのは 出穂後の天候で、なかでも後半よりも前半の天候が良いほど稲の登熟が進んで食味が良くなる という話をよく耳にします。 そのほか食味向上の要因については品種とも土壌とも微生物とも言われ、はたまた作り手の稲に 対する思いも食味を左右すると言う生産者もいます。 しかし、これらのことを数年に及ぶ期間で見つめた場合、収穫される年ごとにその年の天候は異なり、 それに伴い生育状況も変わりますので、同じ産地に同じ品種を作付けしても収穫されるお米が 前の年と比べ、同じ品質・同じ食味・同じ収量になることは先ずあり得ないと言うのが一般的な常識です。

 また、お米はそのほとんどが炊飯されて食しますが、炊き上がったご飯は、水加減などの炊き方により差が生じます。 その味の差は一般的には、香り・粘り・柔らかさ・光沢などで評価されますが、人間の舌は個性豊かで人に よって好みが様々と異なるため、一概にこれがベストとは言い切れることが出来ません。 そこでこうした視点からゆっくり見渡して見ると、「お米の味は自然の恵みと天候、土壌や作り手の思い、 そして炊飯方法や人間の味覚などの上に成り立っている」ことが分かります。

 けれどこうした基本的な事柄を都会の消費者(生活者)は便利で豊かな社会の中で いつの間にか忘れてしまっています。国民一人一人がこれらの点を再認識し、”農”や”食”にきちんと向き合い、 そうした上で農作物を手にするとき、私たちは改めて 『それぞれの地域で収穫されたその農作物の持つ味が”その年の地域の味”であり、私たちに与えられた “その年のいのちの味”である』と学び知ります。 そしてそこには経済効率や利益を優先する企業的工業的な理論では計ることの出来ない”いのちの重み”を感じます。