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2. 農に想いをよせて

(a) 東京の消費者

 『人がいのち(穂)に集まり一つになり(昴)、支え合い共に生きる関係を築き、 次代を育む子や孫たちに"いのち"と"こころ"をつないで行こう』と、幾多の経過の中から "生・消・流"つまり"作る人・食べる人・とりもつ人"が核となり、和となる母体が結成され、 3年前の平成7年に昴穂人倶楽部(きずなくらぶ)として産声を上げました。

私は"とりもつ人"として生消のパイプ役を担う米屋です。 その業務で消費者に仲立ちする農作物の基本は「作る人の家族も食べているお米(提携米)や野菜」 で、消費者と一緒に農と食を支える応援団となり、後継者が育つ環境づくりや関係づくりのお手伝いをしています。

 そんな立場にいる者ですから"東京の消費者が思っているコメ・農業への声を聞かせて欲しい"とよく尋ねられますので、 『多くの消費者は昔も今もその声は変らず、"安全で美味しいものをより安く"に尽きる』と答えます。 しかし中間で消費者の方と長く携わってきた者としては「それでいいのかな?」といつも気になっています。

『食べ物は自然の恩恵や耕す人の力により育まれ、それが自分たちのいのちの糧となっていることや、 農林業には水や緑を守り自然環境を保全するなど多面的機能の働きがある』ということの認識を持たずに、 市場原理や経済社会の中からしか農と食を見てないように感じるからです。

たとえば、農産物は工業製品と同じ様にいつでも品質の変らないものが出来ると思っていますし、 その価値も手にして見える部分(価格・表示・見た目など)で判断する傾向が見られます。 若い世代になるほどそれが強く現れてきます。

それは何故なのかを考えてみますと、今までの学校教育の現場や家庭において知識を詰め込む教育が 優先してきたあまり、地球の誕生に始まり生命がどのようにして生まれ、どのような過程を経て山や川 や海がそして動植物や人類が形成され、その子孫が今の時代までどのように生きてこれたのかという 『自然の成り立ち』や、土に触れ、汗して作物を育て、労働という学習と収穫の喜びを学ぶ"という 『実践的な体験学習』に時間をかけてこなかったからではないかと思います。

そして生活環境の違いはあるけれども、そうしてこなかったことが都市と農村双方の理解や認識に ズレが生じてきている一因となっているような気がします。 したがって、これからを担う子や孫のことを考えるならば、都市と農村が一つになり農の現場に目を据え 、そうして視点で農業・農村・食料・環境等を見つめ直し、次代につながるいのちを守っていく時代に来ているように思います。 それには、都市の生活者が農へ主体的にかかわっていくことが必要と感じています。



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